高橋「PTAのパーソナルなプレイリストを覗いた感覚。使いどころも絶妙。」
岡村「冒頭にニーナ・シモンの「ジュライ・ツリー」をもってくるあたりに唸りました!」
『リコリス・ピザ』が示すもの
高橋芳朗(以下、高橋)ポール・トーマス・アンダーソン(以下、PTA)監督が青春恋愛映画を撮るという、もうその一点だけでめちゃくちゃ興奮しました。『ブギーナイツ』(97)~『マグノリア』(99)~『パンチドランク・ラブ』(02)に続く地元サンフェルナンド・バレーを舞台にした物語ということで、初期の傑作を彷彿させる要素がところどころで確認できたのもうれしかった。そもそもポップ・ミュージックをふんだんに使った構成からして『ブギーナイツ』的ですよね。
岡村詩野(以下、岡村)私も『パンチドランク・ラブ』(02)を久しぶりに思い出しました。基本はシンプルなボーイ・ミーツ・ガールというのが新鮮で。あと、サンフェルナンド・バレーを舞台にするところはやはりPTAのこだわりを感じました。というのも、サンフェルナンド・バレーは映画産業…中でもポルノ産業が盛んですよね。『ブギーナイツ』でもそこがテーマでした。ポルノ産業云々と言っても淫靡じゃなく健康的なんですよね。恋愛模様と絡ませつつすごくユーモラス。アラナもサンフェルナンド・バレー出身ですし。
※サンフェルナンド・バレー
米・ロサンゼルス、ハリウッド近郊にあり、ポール・トーマス・アンダーソン監督の出身地であり現在も居住している。米・ロサンゼルス、ハリウッド近郊に位置する。
高橋PTA流『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19/クエンティン・タランティーノ監督)みたいなところもあるのではないかと。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』公開直後にタランティーノとPTAが対談を行った際、PTAがローリング・ストーンズの「アウト・オブ・タイム」が流れるシーンをお気に入りにあげていましたが、音楽の使い方など影響を受けている部分もあるのかもしれないですね。

※ローリング・ストーンズの「アウト・オブ・タイム」がかかるシーン
イタリアからアメリカに戻ってきたリックたちが乗る飛行機のシーンから、ハリウッドの町並みにネオンがついていくシーン
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
ローリング・ストーンズ「アウト・オブ・タイム」
岡村『リコリス・ピザ』は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の少し後の同じLAが舞台ですし、ゲイリーは俳優の設定で、映画プロデューサーのジョン・ピーターズも出てきますしね。無類の音楽好きのPTAとしては、60年代後半にロングビーチに1号店がオープンし、80年代半ばまで続いたレコード・チェーン店の「リコリス・ピザ」をタイトルにつけたのも自然ですね。現在のLAの音楽シーンは、サンダーキャット、カマシ・ワシントン、ブレイク・ミルズ、サム・ゲンデルなどジャンルを越境したアーティストが多いですよね。その中の一つがハイムなわけですが。
※リコリス・ピザ
70年代南カリフォルニアで人気があったレコード・チェーン店。客はリコリス(甘草)を噛みながら店内のソファーで自由に視聴したり、店員と語り合った。地元の若者たちにとってはクールな溜まり場として有名だったと言われいている。

※ハイム
主演の1人であるアラナ・ハイムが実の姉2人と組んでいる三姉妹バンド。デビューアルバム「Days Are Gone」(13)でグラミー賞新人賞にノミネートされた。PTAがハイムのMVを撮影していたことから、今回のタッグが実現した。
https://www.universal-music.co.jp/haim/
高橋PTAは『リコリス・ピザ』をつくるに当たって影響を受けた映画として、『アメリカン・グラフィティ』(73/ジョージ・ルーカス監督)と共に『初体験/リッジモント・ハイ』(82/エイミー・ヘッカーリング監督)を挙げていて。実は『初体験/リッジモント・ハイ』のモールのシーンに「リコリス・ピザ」が出てくるんですよ。そのあたりのつながりは見ていて楽しかったですね。
※『初体験/リッジモント・ハイ』
南カリフォルニアが舞台となった80年代の青春映画。主題歌ジャクソン・ブラウン「誰かが彼女を見つめてる」含め豪華なサウンドトラックも有名。当時無名のショーン・ペンらが出演している。

※『アメリカン・グラフィティ』
60年代初頭のカリフォルニアを舞台に、ロックンロールの名曲で彩られた青春映画。
PTAのプレイリストが銀幕を彩る
岡村私はドアーズの1970年のアルバム『モリソン・ホテル』からの曲「ピース・フロッグ」が使われているのが象徴的だと感じました。ドアーズはまさにLAのバンドでしたし、のちにベトナム戦争を扱った映画『地獄の黙示録』(79/フランシス・フォード・コッポラ監督)で「ジ・エンド」が使用されたりします。「モリソン・ホテル」は実際にLAにあったホテルの名前ですけど、そういうところも実在だった店の名前「リコリス・ピザ」を映画のタイトルにつけるPTAの感覚と近いのかなとも思えるんです。
ドアーズ「ジ・エンド」
※ドアーズ
60年代後半〜70年代前半のLAを代表するロックバンド。1967年のファースト・アルバム『ハートに火をつけて』がヒットするもヴォーカルのジム・モリソンは27歳の若さでなくなる。1993年に「ロックの殿堂入り」を果たす。

※ドアーズ「ピース・フロッグ」
ドアーズが70年に発表した曲。劇中でラジオDJがこの曲をかけ、ウォーター・ベッド店の開店準備で大忙しのゲイリーたちが描かれる。

高橋あとはラジオの存在感が大きかったですね。劇中ではラジオから曲が流れてくるシーンが多くて、そこもまた『アメリカン・グラフティ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に通じる部分かと。使用楽曲はほぼPTA自身が選んでいたようですが、過去に映画で聴いたことがある曲はデヴィッド・ボウイの「火星の生活」とクラレンス・カーターの「スリップ・アウェイ」ぐらいでしょうか。誰も手をつけてこなかったような曲で占められているあたり、PTAの選曲に対する矜持を強く感じました。彼のパーソナルなプレイリストを覗かせてもらったような感覚ですね。基本的に時代時代を象徴するヒット曲を使って世相を描き出していた『ブギーナイツ』に対して、『リコリス・ピザ』の選曲はPTAの趣味性が前面に打ち出されている印象です。また使いどころも絶妙で。

※デヴィッド・ボウイ「火星の生活」
『ハンキー・ドリー』(71)収録、73年にシングルカットされた初期代表曲。映画本編での使用はもちろんのこと、予告編の使用が印象に残る。

※クラレンス・カーター「スリップ・アウェイ」
68年発表、R&Bチャート3位を記録したシングル曲。恋人がいる女性を誘惑する曲は、アラナが選挙事務所でボランティアを始めるシーンでかかる。
岡村ニーナ・シモンの「ジュライ・ツリー」を冒頭にもってくるあたりは唸らされました。「ジュライ・ツリー」は“真の愛の種が成長するのにどのくらい時間かかるだろう?”という歌詞の内容と主題とが合っていますよね。4月に蒔いた種が7月に育つ……という歌詞からはここからその物語が始まって実を結んでいくのかな、というような期待が高まります。

※ニーナ・シモン「ジュライ・ツリー」
65年の発表曲。アラナとゲイリーが出会うシーンで1曲通して流れている。

高橋アラナとゲイリーが一緒に走るシーンで流れるのは、ソニー&シェールの「バット・ユア・マイン」。楽曲自体はフィル・スペクター調の典型的な60'sポップスですが、ソニー&シェールでもあまりスポットが当たらない曲、しかもアウトサイダーなカップルの恋を綴ったラブソングを選んでいるあたりさすがですよね。映画の序盤、ふたりが飛行機でニューヨークに向かう場面ではクリス・ノーマン&スージー・クアトロの「メロウなふたり」が使われていたり、アラナとゲイリーの心の距離が近づくシーンでは男女デュエットの曲を持ってきているのも心憎い。それから、ウォーターベッドのシーンでのポール・マッカートニー&ウィングスの「レット・ミー・ロール・イット」も鮮烈でした。“君のもとに転がっていくよ”と歌うサビとのリンクも完璧だし、それまでの甘酸っぱいポップスから一転、ブルースロックでじっくり官能的にふたりの愛を描いているのもしびれますね。感情の変遷をしっかり踏まえた選曲、本当によく考えられています。
※ソニー&シェール「バット・ユア・マイン」
LAの男女デュオによるヒット曲。社会からはみ出しながらも愛し合うヒッピーカップルについて歌う姿が、アラナとクーパーに重なる。

※フィル・スペクター
1960年代初頭のポピュラー音楽の録音方法に革命を起こした「ウォール・オブ・サウンド」の生みの親であり、ビートルズなどの音楽プロデューサー。

※ポール・マッカートニー&ウィングス「レット・ミー・ロール・イット」
73年発表の全米1位を記録した『バンド・オン・ザ・ラン』収録曲。アラナとゲイリーがウォーターベッド人と横たわるシーンで流れる。

※クリス・ノーマン&スージー・クアトロ「メロウなふたり」
78年にヒットしたデュエット曲。恋人たちが「愛に生きよう!」と歌う無邪気なラヴソング。
ジョニー・グリーンウッドの存在感
岡村PTA作品ではもうすっかりおなじみですが、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドが今回一曲だけテーマソングを提供していますね。最初にゲイリーがアラナに電話番号を聞くシーンと、最後に二人がお互いを探すシーンのニ箇所で使われています。

高橋ちゃんと映画のキーになるポイントで使っているあたり、PTAのジョニーに対する信頼感がうかがえます。これまでのPTA作品でのジョニーの劇伴はクラシックや不協和音を取り入れたものが多かった印象ですが、今回は作品のトーンに寄せた輪郭の淡いソフトロック調のサウンドになっています。
映画と音楽から見る時代背景
岡村終盤、カリフォルニア市長に立候補する政治家の選挙事務所でアラナがボランティアをする場面が出てきますよね。その候補者が同性愛者で。ちょうど70年代は同じカリフォルニア州のサンフランシスコでハーヴェイ・ミルクという同性愛を公言していた市議が誕生し、暗殺される事件も起きています。現在にも通じるアメリカ社会の光と影をしっかりと描いているのも興味深いですね。

※ジョエル・ワックス
ベニー・サフディが演じている実在の政治家。1971〜30年間サンエルナンド・バレー地域の市議会議員を務める。

※ハーヴェイ・ミルク
1977年、サンフランシスコ市政執行委員に当選。アメリカ初「ゲイを公言する」政治家として活動したが、当選からわずか10カ月半後に狙撃され死亡した。

※シールズ&クロフツ「僕のダイアモンド・ガール」
70年代の西海岸サウンドを代表するLAのポップ・デュオが73年に発表したシングル曲。選挙事務所のBGMで流れる。
高橋『リコリス・ピザ』で描かれている1973年はニクソン大統領がベトナム戦争終結を宣言したタイミングですが、その戦後処理やオイルショック、ウォーターゲート事件に象徴される政治不信など、まだまだ明るい要素を見出しにくい状況だったと思うんです。そんななか、『リコリス・ピザ』のサウンドトラックでは当時のLAのレイドバックした気風が強く反映されていて。シールズ&クロフツの「僕のダイアモンド・ガール」などは、そんな全体のムードを代表する曲といえるのではないでしょうか。

岡村劇中、アラナがオーディションで「父から教わったのでイスラエルの格闘技もできます」と答えるシーンがありますが、アラナのお父さんがイスラエル系であることが生かされているんですよね。実際に劇中のアラナの家族はそのままハイム一家が演じて、ユダヤの食卓が再現されたりもします。あと、日本食レストランの話では、日本人女性が2人出てきます。ユダヤ、日本、イスラエル……LAが民族的人種的にも多様なエリアであることが伺えます。そう考えるとPTAはLA、ひいてはアメリカ全体の文化の素晴らしさと、逆に社会問題、人種・民族問題を映画と音楽であぶり出そうとしているような気がします。音楽と映画だけではなく、社会の中のカルチャーの在り方として。中でもポピュラー音楽を社会学として捉えているようなところもあります。
PTA作品と音楽の関係
高橋PTAと音楽ということでは、彼はフィオナ・アップルからハイムまで、これまでに約20本のミュージックビデオを監督しています。トレードマークになっている手持ちカメラの揺れのある映像は、ジョアンナ・ニューサム「Sapokanikan」(15)やレディオヘッド「Daydreaming」(16)などで堪能できますね。人気の高いハイムの「Summer Girl」(19)のMVもその流れを汲む作風ですが、PTAは基本的に人が歩いている姿を撮るのが好きなんでしょう。
ジョアンナ・ニューサム「Sapokanikan」
レディオヘッド「Daydreaming」
ハイム「Summer Girl」
岡村PTAが音楽と映画の関係性でお手本にしている監督のひとりとして、ロバート・アルトマンが挙げられると思います。実写版『ポパイ』(80/ロバート・アルトマン監督)のサントラに収録されているオリーブ役だったシェリー・デュバルが歌う「ヒー・ニーズ・ミー」をPTAは『パンチドランク・ラブ』で採用しています。サントラは、エイミー・マンなどを手がけたプロデューサーでありミュージシャンのジョン・ブライオンが担当していました。『リコリス・ピザ』主演のアラナもハイムのメンバーですけど、『インヒアレント・ヴァイス』にはジョアンナ・ニューサムという、やはりシンガー・ソングライターが役者として出演していますし。
シェリー・デュバル「ヒー・ニーズ・ミー」
※ジョン・ブライオン
『パンチドランク・ラブ』『ハードエイト』『マグノリア』で劇伴を担当。直近では『プーと大人になった僕』(18/マーク・フォースター監督)の劇伴を手掛けた。

※ジョアンナ・ニューサム
ハープ奏者及びシンガーソングライター。『インヒアレント・ヴァイス』では出演・ナレーターを務めている。
高橋今回の『リコリス・ピザ』では、PTA自ら出演を懇願したというトム・ウェイツの存在が光っています。登場時間自体はそれほど長くはありませんが、それでもきっちりインパクトを残していくあたりは手練れだなと。個人的には“Mystery Men”(99/キンカ・ユーシャー監督)以来のヒットでした。そして、最後に改めて讃えておきたいハイム三姉妹の末っ子アラナ。デビュー当時のMVから絵になる人でしたが、映画初出演でここまで見事に主役を演じきろうとは。アドリブも冴えまくっていたし、気心の知れたPTAと共にホームタウンのサンフェルナンド・バレーで家族に囲まれながら撮影できたことが彼女のポテンシャルを自然に引き出すことにつながったのかもしれませんね。
高橋芳朗(たかはしよしあき)
音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティー/選曲家。著書は『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない~愛と教養のラブコメ映画講座』『ディス・イズ・アメリカ 「トランプ時代」のポップミュージック』など。Amazonミュージック独占のポッドキャスト番組『高橋芳朗 & ジェーン・スー 生活が踊る歌』も配信中。
岡村詩野(おかむらしの)
音楽評論家/TURN編集長。京都精華大学、昭和音楽大学非常勤講師。OTOTOYの学校・音楽ライター講座講師。α-STATION(FM京都)『Imaginary Line』(毎週月曜10時)パーソナリティ。

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